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「ごめん……」
俺も泣きそうだった。拳の痛みのせいにしておくことにした。


「心配…したんだから…」


姉の目が潤んでいる。初めて、可愛いと思った。


「うん…」
それ以上言えなかった。切れて家を出た後なのだ。
姉も、しばらく俺の肩に顔を埋めていた。

「帰ろう?」
もう涙は消えていた。けれど、まだ声は震えていた。
「うん」

そうして、姉の後ろを歩いた。
飲みに行ったときは星しか見えなかった。
今宵月は茗荷を食い過ぎている
誰の詩だったか、そんな言葉を思い出す。
家まで、もうすぐだ。ときどき、姉がこっちを振り向く。
心配ないよ、という風に見つめ返す。二人で小さく笑う。
もしかして、幸せってこんな感じだろうか?首を振るのも疲れた。





姉が部屋に誘った。スレに帰宅だけでも告げておきたかった。
「あ、ちょっとだけ部屋行く」
「だめ」
今までとは口調が違った。上からの物言いではない。
「ちょっと行くだけだから」
「だめ」
「もう出て行かないって…すぐ戻るから」
そう付け加えると、安心したようで、うん、と頷いた。
急いで書き込み、姉の部屋に向かった。
姉はベッドの縁に座っていた。椅子に座るのも変なので、俺も隣に座った。
しばしの沈黙。ストーブだけがうなる。

「ねえ…」
「…何?」
意識しないと、言葉が荒くなってしまう。

「あの…ごめんね」
誰か「ごめん」に対するいい返事を考えてくれないだろうか。

「…いや…俺こそ」
「ごめんね…そんなに嫌がってるとは思ってなかったから」

きっと思っていたのだろう。でも、もういいか。

「……うん」
「ごめんね…もう舐めろとか言わないから…」

ごめん、と言うたび、姉の声が震える。謝るのに慣れていないとよくこうなる。

「…うん」
「写メも消すから…」

ストーブが次第に部屋を暖めていく。暖かい風が足下に届く。
「…うん」


695 名前:1
とりあえず目的達成・・・か?


俺としてはもういいかな、と思うのだが、しかし奴らはそんなに甘くなかった。


703 :まだ仕事がお前にはある。
分かってるだろ?

704 :まだだ!まだ終わらんよ!

どうしても俺と姉を交わらせたいようだった。
せっかく穏やかな気分に浸っているというのに。



743 名前:1 :姉ちゃんとヤれとか言ってるやつ、自分の身になったら無理だと思うぞ
いや俺も他人のスレではヤれヤれとか言ってるから言われるのわかってるけど
本当に女として愛してしまう人もいるかもしれんが俺はそういう感情はないです


それでも、荒い口調で吐き捨てることはしなかった。借りがある。
俺一人では、ここまで来ることは絶対にできなかっただろう。
今日は動いた。体に疲れが溜まっている。
スレが残っていたら書き込む、とレスして電源を落とした。
きっと残っているだろうな、と思って目を閉じた。




起きて一階に降りると醤油の残り香が俺を包んだ。姉はもう出かけたようだった。
夕方にVIPを覗いてみると、新しくスレッドが立っていた。
知らぬ間にまとめサイトができていた。これから、もっと多くの人が俺と姉のことを知るのだろう。
なんだか変な気分だった。適当に書き込んでいると、姉が帰ってきた


38 :1 :ここで安価するとややこしくなりそうだから
今日は報告だけで
先にメシの用意してくるお
メシ食ってから話する



44 :1 :おまたせしますた
メシ食った後姉ちゃんは自分の部屋に戻った
俺は食器洗ってから戻ってきた
やっぱ俺から姉ちゃんの部屋に行くべきかな?


姉はあまり話さなかった。俺もなんだか話しかけられなかった。
いつもは騒がしいテレビも、今日は色を失っていた。
さて、いよいよだ。きちんと会話できるように、と深呼吸する。
あと一分したら行こう、と思って時計を見る。
後ろで、コンコン、とドアを叩く音がした。

姉がこれまでノックをすることはなかった。おずおずと部屋に入ってくる。
「あの…昨日の話の続きなんだけど…」
「うん…」
不意を突かれた動揺を、なんとか取り戻そうとする。
「私の部屋でしよっか」
そう言った姉の顔は、今まで見たことがない表情だった。
「わかった」

廊下を先に歩く姉の背中からは、強さとか、暴力とか、そんなものが感じられなかった。
姉が座った正面に、あぐらをかいた。正座にしようかとも思ったが。


「・・・」
「・・・」
俺から言ったほうがいいのだろうか。いや何を言えばいいんだ。

「あの…まず最初にもう一回言っとくね」
姉は小さく息を吸って切り出し、そこまで言うと、俺に張りつめた顔を向けた。
「ごめんなさい」

もう許していたつもりだったのに、その言葉で頭が楽になった。
「いや…その…俺のほうこそ、ごめんね」

下克上なんて言っても、結局俺は姉と対等になりたいのだな、と気付く。
それから姉は少し切迫した声で続ける。
「あのね、もうあの写メも消したから」
写メと言われて記憶が舞い戻ってきそうになるが、押しやった。
「・・・うん」
「もう脅したりとかしないから・・・」
「うん・・・」
もっと気の利いた言葉があるはずだった。でも、喉が急に渇いて、言い出せなかった。
また沈黙が覆う。聞こえてくる鼓動は、誰のものだろう。
窓はカーテンがかかっていて、空の様子は分からなかった。

「だから…ね」

かすれた声で、姉が言葉を紡ぐ。事前に言葉を用意していたのではない。
今の気持ちを俺に向けてくれる。

「お姉ちゃんのこと・・・」

口を噤む。その先に苦痛が待ち受けているかのように。


「…嫌いでもいいから」


嫌いじゃない。そう言おうとしたが、姉が見たことのない、爆発寸前みたいな顔をしていて、言えない。


「・・・見捨てないで・・・」


そう言うが早いか、姉の涙腺がはちきれて、目から雫が伝った。
姉が俺の目の前で、泣いている。俺のことで。
脳が、心が、疑問符と白の絵具で埋められていく。
筋肉に命令が伝ったのは、しばらくしてからだった。



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